八王子 東海に関する美容室

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八王子 東海に関する旅行記

ひさびさの激安湯河原温泉でまったり♪行きしに見つけた湘南平塚...

今週はマジメにおうちにと思ってたけど。。。
お出かけの虫がウズウズ。
なぜか意味もなく、見るじゃらん。
何っ!!
湯河原の青巒荘やん!
「勝負♪☆祝・80周年☆早いモノ勝ぢ●●●●円プラン」
発見!!
1回行ったことあるし、癒されるのにこのお値段。
即クリック!
クリックした瞬間プランから消えたで!
セーフ!
やっぱ、ええ温泉ですわー
何や?
五月みどりのヴィーナス?

行きしのいつもの東海道線グリーン車車内から湘南平塚七夕祭りがチラリ。
帰りに寄るしかないっしょ!
せっかくさっぱり癒されたのに何なん?この暑さと人だかりはーー!

2010/07/29 10:07:17

2010年7月 山梨明野ひまわり畑...

ひまわりを見る日帰りバスツアーに申し込んでいたのですが、申し込んだ日は、人数が集まらなくて催行中止。別に提案された日は都合が合わず。で、HPを見てたら、どうやら駅からバスもありそうだし。青春18きっぷで行けそうな距離だし。なら、またぶらり旅だぁ~と、休みとって思いつきで決行。

しかし、普段電車に乗らない自分が、最近、のどかな田舎ばっか旅してたせいか、朝のラッシュを少し甘くみてまして。八王子あたりまではアップアップ。ついでに頼りのEZナビウォークも、ホントにそれでいいのか?という道を示したりとか…でしたが、大丈夫。結果、良いルートと時間で乗り過ごすことなく行けたのかなーと。

18きっぷ一回分の元はとれたけど、遠かったよぉ。どんだけ特急に乗りたかったか。結果、「日帰りバスツアー」よりも多少安くあがったかな?ってとこです。(まぁ、バスツアーにはほかにおまけがあったので、お得度は高かったんですが。)一人旅慣れしてきてる自分には、やっぱり自由度プラスでってとこでしょうか。

平日だったせいか、ゆったり鑑賞できました。まだまだシーズンはこれからだし、これからもっと咲きそうな畑がたくさんです。でも、土日は混むらしいです。渋滞らしいですよー。

なにはともあれ、ひまわりにはやっぱり癒されます。

2010/07/29 10:07:24

志ぐれ茶漬弁当と天神祭(2010.7.24・25)...

青春18きっぷを利用して、東海方面へ行きました。

1日目は山陽・東海道本線経由で名古屋・金山へ。
友人と二人で金山でイベントに参加した後友人と別れ、熱田のイオンで夕食を食べて金山駅前のネットカフェで就寝。
8時間ナイトパックで1400円かからないのは魅力でした。

2日目は朝7時にネカフェを出発。寄り道しながら大阪を経由して帰宅します。
亀山の「志ぐれ茶漬け弁当」を食べに一路亀山駅へ。
名古屋からは関西本線で亀山へ。途中四日市まで来た所で急に「そうだ、鳥羽へ行こう」と思う。
快速「みえ」に乗るとすごく混んでいました。そうか、今日は鈴鹿では8耐やってるのか。
その後四日市まで折り返して昼過ぎに亀山駅へ。
亀山駅の改札を出て正面にあるお店で聞くとすぐに出てきました。
この弁当は亀山-加茂の風光明媚な景色と共に車中でいただく事にしました。
ボックス席に一人で座っていると団体旅行のおば様方が相席に。
柘植駅で下車されるまで「この形のお茶入れ、最近見なくなったねー」などと楽しく話をしながら食べてました。
その後、睡魔が襲い、気がついたら列車は乗り換える一つ前の駅を発車したところでした。
加茂駅からは大和路快速で大阪へ。
途中知り合いのいる所を寄って、16時まえに天満へ。天神祭を見物します。
改札を出ると、丁度屋台が駅前を通過するところでした。
やはり祭りの囃子声や屋台を見ると興奮します。
たっぷり神輿を堪能した後、出店を回って、新快速で帰宅。

青春18きっぷは使い慣れるまでは難しいですが、思いつきで自由な場所へ行けるのは魅力だと思います。








乗車記録

7時55分発、JR神戸線新快速・長浜/米原行きで新大阪駅。8時58分、着。
9時34分発、JR神戸線新快速・行きで米原駅。10時53分、着。
10時57分発、東海道本線普通で大垣駅。11時28分、着。
11時41分発、東海道本線新快速・豊橋行きで金山駅。12時20分、着。
金山でイベント参加後、熱田で夕食を食べ、金山のネカフェで就寝。

7月25日

7時4分発、中央本線普通で名古屋へ。7時8分、着。
7時26分発、関西本線普通で四日市。8時10分、着。
8時19分発、快速みえ51号で鳥羽。9時38分、着。
海を見て満足したので、折り返す。
10時5分発、快速みえ6号・名古屋行で四日市。11時24分、着。
11時38分発、関西本線快速で亀山。12時7分、着。
駅前の店で志ぐれ茶漬弁当を調達。
12時45分発、関西本線普通で加茂。14時04分、着。
14時15分発、大和路快速・大阪環状線行で久宝寺。15時6分、着。
15時11分発、おおさか東線普通で放出。15時26分、着。
15時33分発、東西線経由宝塚行で京橋。15時36分、着。
15時39分発、大阪環状線内回りで天満。15時42分、着。
天神祭を見物。
22時15分発、大阪環状線外回りで大阪。22時17分、着。
22時40分発、JR神戸線新快速・網干行で姫路へ。23時42分、着。

2010/07/29 08:07:55

東海道本線の歴史的痕跡を探す ~横濱驛移設変転史編【建造中】...

明治5年(1872年)7月11日に品川-横濱間が鉄道仮開業以来、横浜駅はその場所を3回移動している。

開業当初の横浜駅は現在の桜木町駅前広場付近に所在した事は広く知られているが、2代目横浜駅が旧東急東横線高島町駅付近に存在していた史実は横浜市民と言えども忘れ去られているのが現実です。

明治20年(1887年)7月11日に初代横浜駅から路線が延長されたが、当時と言えど横浜駅の頭端式スイッチバック構造では運転扱上不便この上も無く、間も無く日清戦争勃発と共に軍用専用列車運転目的の為に陸軍省は初代横浜駅を無視し短路線建設で輸送の効率化を謀ります。
此れが現在の路線の原形です。
後に、廃止された神奈川駅から平沼町付近を経由して程ヶ谷(現 保土ヶ谷)に至る新線が開通以来、長距離列車は初代横浜駅を経由せず直行する。
短路線上に平沼(ひらぬま)駅が開設されたのは明治34年(1901年)10月10日で此れを機会に短路線は陸軍省から逓信省鐵道作業局に所管変更されたが、当時の平沼は葦繁る湿地帯上に在り人家も稀で夜ともなると漆黒の世界で時折追剥も出現しており、利便性から横浜市民は長距離列車は従来通り神奈川駅から乗車していた。

大正3年(1914年)12月19日、当時の鐵道院は平行す京濱電気軌道に対抗すべく品川-横濱間を複々線化し各駅停車列車の線路を1200ボルト電化工事を施工の際に神奈川-櫻木町駅間の中間に高島町駅を開設し品川-高島町駅間を電化して翌日より都市間高速電車を投入したが試運転も無いに均しく、いきなり本番を迎えた為にトラブル続きで、止む無く同年12月26日に電車運転を一時中止するが、此れが2代目横浜駅の嚆矢となります。
大正4年(1915年)5月10日から京濱線電車運転が復活し、
同年8月15日に横浜市民の便を考慮して高島町駅にルネッサンス様式煉瓦造3階建の壮麗な建築物と共に開業したのが2代目横浜駅で設計者は東京駅や萬世橋駅と同じく辰野金吾博士が担当した。

2代目横浜駅は改札口を2階に設置して跨線橋で東海道線と京濱線各ホームと連絡する現在で言ふ橋上駅構造で当時としては画期的且つ大胆な構造でしたが、反面真夏ともなると冷房も無い時代故に駅全体が蒸し風呂状態だったとの古老の回顧も仄聞している。

櫻木町所在時代同様、駅構内では現在も桜木町駅構内で営業する川村屋(かわむらや)がレストランを営業し、浜っ子は市電で早めに横浜駅に到着し待ち時間を川村屋で食事を済ませ列車に乗り込むと言ふスティタスを確立させていた。
また、高島から程ヶ谷(現 保土ヶ谷)に抜ける貨物専用線は駅前を高架線で貫通構造だったが、昭和4年(1929年)9月16日に廃止されるまで訪横者の目には煉瓦建築物の目の前に高架線が存在し威勢良く黒煙を吐き轟音を立てて走り抜ける蒸気機関車が貨物列車を牽き行き来する姿を目にし奇異さを感じたに相違無かったと思われる。
但し、2代目横浜駅開業と同時に平沼駅は廃止される。

2代目横浜駅開業に拠り石崎川を挟んだ駅裏側は何も無い葦そよぐ湿地帯だったが次第に商業地としての形態が整備され平沼商店街が形成さるに至ったが、関東大震災に伴う再開発で駅移転が決定的致命傷となり、現在ではすっかり衰退してしまったが、此の点では、大都市中心部に所在しながら栄枯衰退著しい例として、東京萬世橋駅や大阪湊町駅や片町駅所在地付近に共通する事例と言える。

櫻木町から高島町に駅が移転開業した際に当時の鐵道院が横濱(高島町)-櫻木町駅間の旅客営業廃止を検討していた事は当時の資料を検討する限り事実だったと考えられる。
然るに、当時の横浜駅は市内への入口拠点として駅前から市内中心部に対し市電が開業し輸送を独占状態であり、鐵道院は都市間輸送たるインターバン輸送を主とする指向であれば良く、サバー輸送たる短区間輸送を行う必然性は何ら見出し得なかったものと思われる。
即ち、2代目横浜駅開業と同時に横濱(高島町)-櫻木町駅間の旅客営業形態を現代人の我々から見て極めて驚異に感じるが、朝夕4往復のみの運行に限定した事からも鐵道院の真意の一端が読み取れる。
4ヶ月後の12月30日になり櫻木町駅まで電化区間が延長され電車運転を開始したが、それとて旅客営業継続を積極的根拠が存在したとは傍証に乏しい。
他方、大正7年(1918年)4月1日に横濱-櫻木町駅間の高架化工事が竣工し該痕跡は現在でも見られる。

死児の年齢を数えるの例えでは無いが、若し、関東大震災の如き予想外の事態無くば現在でも横浜駅は高島町に設置されていた公算が高いと推定される。

更に、平沼商店街は伊勢佐木町や元町と並ぶ横浜屈指の高級志向商店街に発展した可能性が高かったと思われる。

然し、関東大震災で2代目横浜駅は損壊被害こそ免れたものの近所の火災が延焼全焼し駅機能が一時的に壊滅する。

震災復興計画の一環として最大懸案事項として当時の内務省建設局は高島町から平沼町浅間下に抜ける新規道路建設(現在の県道横浜生田線)が計画され道路建設上に駅本屋が存在し支障する為に当時の鐵道省に対し2代目横浜駅の撤去移転を打診する。
帝都復興院は神奈川-櫻木町間の旅客営業廃止を前提とする高架線撤去をも横浜市に要請する。
然し、当時の渡邉勝三郎横浜市長は、『横浜ノ現状ニ鑑ミ到底納得デキス受入難シ』として帝都復興院や鐵道省に対し強硬に拒否姿勢を見せ、代案として北幸町の米ライディングサン石油会社所有地を横浜市が買上げ此処に新停車場設置を要求します。

此の辺の経緯に就いては現存する当時の内務省対横浜市間の交換公文書を仔細に検証すると緊迫した遣り取りが伝わる。
当時鉄道の復旧工事は最優先で進められ、全損し一番被害が酷い馬入川橋梁ですら9月6日工事着手にも拘らず、神奈川-櫻木町間の復旧工事開始が12月5日着工を見ても鐵道省が路線廃止に積極的意思を有するのは明白な事実と見るべきです。
横浜市復興会も駅移転に関し全面的に反対し移転条件として、
1)市の脊髄に相当する桜木町通と直線部を位置にする。
2)平沼町は一辺に偏し市の将来の為に海岸位置が効果大。
と結論付けていた。

結局、横浜市の要求が受容れられ、新駅設置まで高島町の現駅で営業後に北幸町付近に移転する事で合意する旨、大正13年(1924年)2月6日附答申に見られます。

因みに、最近公刊された2代目横浜駅に関する最新文献に於ける記述中、横浜駅が高島町から現在位置に移転した最大理由として、駅構内を国道が直角に交差し常に踏切が閉まっていた事に拠る横浜市民をして監督官庁たる鐵道省に対する不満反発が存在し遠因だったと称する記述に就いて、然し、実際に該道路、即ち、現在の横浜生田線竣工は横浜駅が現在地に移転後の昭和4年(1929年)1月であり、日時に対する整合性が合わず矛盾する。
震災発生当時は道路自体が存在せず、故に、該記述に関する限り史実に反し、亦事実無根である。

かくて、横濱-櫻木町間は存続が決定し昭和39年(1964年)5月19日に桜木町-磯子間が開通し横浜-桜木町間を含め『根岸線』に編入されるまで東海道本線支線として存続する。

紆余曲折しつつ昭和3年(1928年)10月15日に現在地に移転したのが3代目現横浜駅です。

京濱線は昭和5年(1930年)1月26日に3代目横浜駅構内から高島町に至る連絡線が竣工開通し、此れを以って戦前に於ける鐵道省所管路線網が完成する。

3代目横浜駅開業に伴い、即ち、2代目横浜駅所在地たる現在の西区高島町一帯の衰退をもたらし、同じく、神奈川駅廃止は神奈川区青木橋一帯の凋落の原因となった。


尚、本旅行記使用の歴史的写真資料は断り無きものは全部横浜臨海公園個人所蔵品。


表紙は第2代目横浜駅本屋絵葉書
横浜臨海公園 蔵

2010/07/29 06:07:47

2009秋、台風一過の天白川(1)コサギ、ヒガンバナ、ナンキ...

10月8日午前5時過ぎ、猛烈な台風18号がセントレア空港がある知多半島に上陸、その後駆け足で東海地区を過ぎって行きました。50年前の伊勢湾台風に近いコースを通ったことで、緊張感が走りましたが、高潮被害もなく、幸い被害は軽くて済んだようです。台風一過の天白川です。

2010/07/29 09:07:54

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